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 写真は右から、西田幸夫氏、金村清次氏、故大山倍達総裁、大山泰彦氏、私鈴木浩平、そして岸信行氏、の6名です。
極真会館に入門して6年、この時、私は25歳。2段になっていました。
思えば、総裁もこの時48歳、当然ですが皆若かったのですね。

 この当時の合宿の様子など、思い出せる限りご紹介してみましょう。
まず初日は、池袋の極真会館前に集合し、用意されたバスに乗り込んで、一ノ宮(千葉県の外房にあります。)へ向かいます。宿泊先は、一ノ宮学園。確か日程は、5泊6日でした。到着後、まずは稽古があります。地獄のような鍛錬の日々の幕開けです。
 翌朝は、4時に起床して7時頃まで稽古。朝食後からしばし休憩をとり、昼食が終わるや否や午後の稽古が始まります。稽古の場所は、一ノ宮海岸か、お借りした学園の校庭でした。夕方5時頃、ようやく終了。不思議なことに、当時は稽古中に水分補給を心がけた覚えがありません。熱中症予防のために夏は普段の道 場稽古でも水分補給を促している現在からは、想像がつきません。後は入浴、夕食、就寝です。このような稽古が、帰京当日まで行われ、また、それが全てでし た。楽しい花火大会など夢のまた夢・・・いや、毎晩、学園の体育館や教室に布団を敷き、夢も見ぬほどに眠り込んでおりました。そして・・・また翌朝は、枕元をガサガサと動き回る侵入者、「蟹」に起こされ・・・
 こんな地獄合宿でしたが、参加者は、本部道場生のみならず日本全国から集まり、400人を下らなかったのではないかと思います。なぜならば、その頃の極 真会館に支部道場というものは無く、本部稽古と通信教育のみでしたので、大山総裁に憧れ、通信教育で孤独な自己鍛錬を積む通信門下生たちにとって、この合宿のみが、実物の総裁にお目にかかれ、稽古をつけて頂けるチャンスだったのです。

 厳しく、苦しい合宿でしたが、年月を経た今、旅行の折などに一ノ宮付近を通りかかると懐かしさが込み上げてくるのは、私だけでしょうか。
 この年の10月、私は初めて全日本大会(第3回)に出場する事になります。

平成14年12月5日 極真館吉川支部

エピソード

1.私が休憩の時間にこっそりと煙草を吸っておりますと、「誰だ。こんなところで煙草を吸っている奴は!!」と、怒鳴り声がしたため振り返ると、そこには岸信行氏が立っていました。「俺だよ!」と言い返すと「あっ、先輩だったんですか。スミマセン!」岸は故郷山形で道場を開いた、と随分以前どこかで聞きましたが、元気でやっているのでしょうか。

2.合宿の食事は、たいへん質素なものでしたが、実は黒帯になると、大山総裁持参のごちそう(缶詰などでしたが)を分けて頂けました。黒帯になるま ではそれがどんなに羨ましかったことか!ちなみに風呂も、白帯に近いほど順番が後になるため湯船の底に砂がたまり、まるで砂風呂でした。




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