吉川支部ロゴ
極真館吉川支部 極真館吉川支部 極真館吉川支部 極真館吉川支部 極真館吉川支部
極真館吉川支部
  極真館吉川支部道場概要  極真館吉川支部支部長紹介思い出の写真なせばなる  極真館吉川支部指導員紹介

極真館吉川支部

 中学生になっていくらか体もできてきたが、まだみんなと一緒に運動ができるまでには至らなかった。百メートル徒競争の直後に貧血をおこして倒れ、気がついたら医務室のベッドの上にいたこともあった。

 そして、中学一年の終わり頃に、また腰椎カリエスが再発し、人の肩を借りなければ歩けぬ身となってしまった。ふたたびあのいやなコルセットをしなければならなくなり、夏は暑く、坐るととても苦しく、食事も満足にのどを通らなかった。それでも、弟の助けを借りて、私は毎日学校へかよった。苦しくつらい明暮れではあったが、救われることが一つあった。

 私と小学校、中学校と一緒になった女の子がいた。その子も生まれてまもなく小児マヒにかかり、右足が左足の半分の太さしかなく、ビッコをひかなければ歩けない体だった。が、ものすごく負けずぎらいの女の子で、成績はいつもクラスでトップだったし、運動もみんなと一緒にやっていた。とても朗らかな性格で、身体障害者という暗いカゲはみじんもなく、その子の姿を見ていると、

「よーし、負けてたまるか」

 という気持がムラムラと湧いてきた。女の子があれだけやれるのに、男のオレにできないわけはない、と思うようになった。

――ところが、私のからだにとりついた病魔は、今度はかたちを変えて私を襲ってきた。中学三年の春、原因不明の高熱が出て、それが三ヵ月もつづいた。毎日朝から四十度の熱が出るのだが、医者にも原因がよくわからないようだった。

 朝から四十度も熱があると、まったく思考力がはたらかなくなり、ただぼんやりと寝ているだけである。そういうとき頭にうかぶのは、「死」――もうこれでオレはだめかもしれない、という痛切な思いである。なんだかムショウに花が見たくなり、母にせがんで枕辺にきれいな花をかざってもらったりもした。

 あれは六月の何日だったか、急に意識が薄れはじめ、母が親類縁者を枕元に呼びあつめた。これでみんなの顔も見おさめかと思ったら、急に涙がふき出してきた。覚悟して死を見すえたが、恐怖感はなかった――

 こうして一旦は死の淵をかいま見た私であったが、よほど生命力が旺盛だったものか、だんだんに持ちなおしてきた。やまいは気から、というが、絶対になおるという気になると、坂道をころがるような勢いで回復に向かった。それでも、完治するまでに九ヵ月かかり、この病気のため中学三年のいちばん大事な時期に、約半年間学業を棒にふらなければならなかった。そして、この時から、

「からだが丈夫でなければダメだ、からだを鍛えなければ――」

 と本気で考えるようになった。
 どこの学校にも番長というのがいて弱い者いじめをするが、それを見ていて助けたいと思っても、自分に力がないため見て見ぬふりをした苦い経験が、誰しも一度や二度はあるだろう。私はからだは弱くても正義感だけは人一倍強いほうだったので、自分のことのようにくやしい思いをした。何か格闘技を学んでケンカに強くなりたいと真剣に考えたが、まだこの時は空手をやることになるとは思ってもみなかった。

 それでも、からだを鍛えることだけは徐々にはじめていた。腕が弱いので、腕力をつけるため腕立て伏せをやったり、木にぶらさがって懸垂をやったりした。

 また、この年ごろになると自分のからだの不恰好さが気になりだした。胸の骨が少し前に出ているのを引っ込めたい一心で、胸を木の幹にぶつけてみたり、少 しでも背が伸びやしないかと木の枝にぶらさがってみたり、いま考えるとバカな話だが、その当時は真剣だった。二度と病気になるのはいやだ、という意識も強 かった。

 中学三年という時期は、進学か就職かの岐れ路でもあった。私の家は母が女手ひとつで母子三人の家計を支えており、とても高校進学を望める状況ではなかった。私も一度は諦めかけたが、高校へ進んで勉強することは死んだ父のねがいでもあった。

「アルバイトをして学費だけは自分でなんとかするから、どうしても高校へやらせてほしい」

と無理矢理母にたのみ込み、授業料の安い学校をえらんで入学した。

 さて念願はかなったものの、学業とアルバイトを両立させるのは、とてもなまやさしいものではなかった。朝は新聞配達をやり、学校から帰ると、夕方から夜中の十二時頃まで、近所の町工場でハンダ付けの仕事をした。冬休みなどは、朝は新聞配達、昼間は郵便局で年賀郵便の区分け、夜は米屋でモチツキと、三つ掛け持ちでアルバイトをやった。石にかじりついても高校だけは出ようと必死だった。限られた時間のなかで、学業にも精いっぱい身を入れ、クラスで四番とは下がらなかった。

「勉強さえできれば人は何もいわない」

という父の言葉は本当で、人にばかにされたことは全然なかった。それだけに、寸暇を惜しんで懸命に勉強をした。

 成長するにつれて、からだの方も次第に丈夫になってきた。二年のとき柔道部に入り、一年間稽古をしたが、もうこの頃は腰の骨も完全にかたまり、畳の上に投げつけられても平気になっていた。

 三年のときは剣道をやった。空手をちょっとカジったのもこのころで、その空手がやみつきになり十一年もやることになろうとは、まだその時は夢にも思っていなかった――

極真館吉川支部



極真館吉川支部 極真館吉川支部 極真館吉川支部 第1章へ     なせばなる!INDEXへ戻る     第3章へ 極真館吉川支部 極真館吉川支部 極真館吉川支部


copyright