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 極真会館へ入門した当初は、果して極真空手の名にし負う荒稽古についてゆけるか不安であった私だが、大山館長はじめ諸先輩方のご高導を得て、まがりなりにも黒帯をしめる身となり、念願のオープントーナメント大会のマットを踏むこともでき、これらの経験を通じて私は精神的にも肉体的にも自信がもてるようになった。

 十代の頃は、いろいろな苦労に出会うと、世の中で自分だけが苦しんでいるように感じたものだが、空手之道を通じてさまざまな人を知り、世間を広く見ることができるようになると、世に中には実にさまざまな人がさまざまの境遇のもとに生きているのだということが実感としてわかるようになった。

 ひとり、私に忘れえぬ印象をのこした人の話をしよう――

 その人は私よりひと回りほど年長だが、空手之道では私のほうが先輩であった。かりに名前をAさんとしておくが、Aさんはある支部道場の門下生で、帯があがって本部の黒帯研究会に出席するようになり、そこで私たちは知り合ったのである。

 Aさんが空手をはじめたのは三十六歳からだそうだが、そのスタミナたるや驚くほどで、組手の時なども気魄と根性にものをいわせて若い連中を圧倒していた。

 私はこの人の、若者顔負けの旺盛な闘争心と根性に、つねづね驚嘆のおもいを寄せていた。きっと何かわけがあるに違いないと思っていたが、あるとき二人だけで食事に行く機会があり、その折、Aさんからしたしく身上話を聞かされた――
Aさんが三十六歳になって空手をはじめる決心をしたのは、ひとえに子供のため、ということだった。Aさんの子供は片方の眼が不自由で、つまり私と同じ身障者なのだそうである。

 その息子さんが空手に興味を持ち、極真支部の道場へ通うようになり、Aさんはその送り迎えをしていたのだが、息子さんの空手熱はそう長くはつづかなかった。道場がよいをやめてしまった子供にかわって、今度は父親のAさんが空手修行をはじめたわけだが、そのときの心境をAさんから聞かされて、私は思わず目がしらが熱くなった。

 ――今はまだ息子も小さいので、眼がわるいことをさほど気にしている様子もないが、これから成長するに従って、身障者であるがゆえのさまざまな苦難に直面しなければならぬだろう。そんな時、

「お父さんは三十六歳になって空手をはじめ、体力旺んな若者たちでもなかなか続かない荒稽古に耐えて、そして黒帯にまでなったんだよ。だから、おまえも少々のハンディに挫けてはだめよ」

 そう励ましてやりたい一心で、こうして頑張っているのです、とAさんは語った。そして、今度は私のことを話してほしいといった。私は別に人に聞かせるほど偉いことをしてきたわけではないので、これまでの体験をごくかいつまんで話した。

 するとAさんは、

「いつか私の息子が成長して壁にあたった時は、息子と逢って、決して挫けることのないよう勇気づけてやってほしい」

 といった。

「私で力になれるのなら――」

 と私は約束した。そして、身障者の子供を持つ持たないに限らず、人の子の親になるということは大変なことなのだなあ、と改めて私をこれまでにしてくれた母の苦労を思いやったものである。

 もう一人、忘れることのできない青年の話をしよう――

 縁あって私は約二年ほどマス大山空手スクール実技道場で指導員の任を務めていたが、これはその頃の話である。スクール実技道場は現在港区西麻布の真樹プロダクション内に所を移しているが、当時はまだ渋谷駅前のスクール事務局の中にあった。

 そのスクール実技道場に、ある日、ひとりの青年が新しく稽古にやって来た。身長170センチ程度のごく普通の青年だったが、空手着に着替えて更衣室から出て来た姿を見て、私は驚愕した。なんとその青年は、両足の膝から下がないのである。一瞬私は、自分の目をうたがった。ほんとうに、このからだで空手をやろうというのだろうか・・・・・・

 義足をとると私の胸までしかないその青年を最前列に立たせ、そして稽古を始めようとしたが、どうしたものか容易に声が出てこなかった。私には、彼がこのからだで空手をやってみようと思う気持が痛いほどわかった。あやうく涙が出そうになって、あわてて私はうしろを向いてしまった。そうして波立つ心をしずめながら、この青年に私の知っているすべてを教えてやろうと思った。

 いざ指導する段になって困ったのは、足技を教えるときだった。膝から下がない人間に、一体どうやって蹴りを教えたらよいのだろうか。――が、その青年は私の困惑をよそに、皆におくれることなく立派に稽古についてきた。
 何回か教えているうちに、やがて私は一つ大きな間違いをしていることに気がついた。私自身が今まで何よりも嫌ってきたことを、知らず知らずのうちに彼に対して押しつけていたのである。すなわち、同情からくる差別である。

 私は彼に、基本や移動稽古は皆と一緒にやらせていたが、組手は危険を感じてやらせなかった。そのうち彼は、組手をやらせてくれないことに対して不満をあらわすようになった。

 もう一つ、ボール蹴り――

 二メートル余りの高さに吊るしたボールを二段蹴りで蹴る練習があるが、私はこの練習にも彼を参加させず、休んで見ているようにいった。彼のからだでは跳躍が不可能なことは誰の目にも瞭かだし、練習すること自体が無意味に思われたからだ。

 ところがある日、彼は真剣な表情で、

「自分もやります」

 とキッパリいった。

 彼のこの決然とした自己主張を聞いて、私はいやというほど自分の非を思い知らされた。こともあろうにこの私が、たとえ同情からとはいえ彼に差別を押しつけていたのである。

 私は、頭上はるかなボールめがけて不毛のジャンプを繰り返す彼の姿を見て、胸が締めつけられるような思いがした。そしてその日を境に、組手の時間にも彼を参加させることとし、いっさい差別をつけずにガンガン稽古をさせた。

 彼の組手は果敢で、いきいきとしていた。足がないのでいきおい膝で歩くことになるのだが、彼の前へ出て行くスピードは普通の人の倍くらい速かった。彼の相手をする者にも、遠慮せず蹴りなどをどんどん出すように指示した。人間というものは不思議なもので、どこか一つ悪いところがあると、それをカバーするため他の部分が強くなるものである。彼の場合は、腕力がものすごく強かった。あるとき色帯とやらせたら、彼のパンチ一発で相手がのびてしまったことがある。私も毎回彼の相手をしたが、こちらが攻撃しても委細かまわず前に突っ込んできて、そのしつこいまでの攻撃にイヤになったことがあった。ちょうど極真本部に入門したての頃の、ただガムシャラに先輩たちに向かっていった私の姿とそっくりだった。

 この青年を指導していて痛感させられたことだが、何によらず物事には限界というものがある。それがわかっていても、なおかつその一筋の道を突き進んでゆく―そういうひたむきな姿勢が大切なのだと思う。たずねてみたことがないので彼がどんな動機から空手をはじめたかは知らないが、誰が見ても彼の修業の到達点には限界があるだろう。がしかし、空手之道はなにも強さのみを追い求めるものではないのである。もちろん勝負の世界である以上は、勝つことが何ものにも優先することはいうまでもないが、努力に努力を重ね、みずからの精神を強靭に鍛え上げることもまた、これに劣らず大切なことだと思う。
 
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身長185センチの相手の顔を蹴ることができる筆者の回し蹴り



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